=敦煌奮闘記= 〜24日目〜
      敦煌市内での活動(哈密編-3)

 哈密紀行3〜老恩師
9月1日。
とうとう9月になってしまいました。
で、つらつら考えると、敦煌より更に西にいる自分が非常に不思議に 思えてきました・・・

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今日は哈密での最終日。
昨日も今日も、仕事上の滞在理由が本当にない・・。でも、スグに敦煌 に帰るのもヒジョ〜に惜しいので、市場調査(・・・(ーー;)表現が合っ ていない・・・??)しております。(^^;ゞ

昼間は、初日に西部発展報の站長が紹介してくれた、哈密市の要所の 方々への記念品として、竹製の水桶をお土産で作画したり、特に重要 な方には、木版に作画して差し上げる準備をしておりました。

昨日は郊外へ調査(調査ですよ!・・カナ?)に行きましたが、今日は 爺ぃの莎車(ヤルカンド)での小学校時代の先生に会う為、夜はその 方のお呼ばれとなりました。
先生は72歳と言う事でしたが、爺ぃと余り変わらない感じで、お若 く見える方。爺ぃも普通は「50代」に見られるほうなので、2人と もすごいです。
この先生、転勤で哈密への移動になり、校長先生になられたそうです。 今は当然退職して居られますが、聡明そうで、肌も艶があり、若い頃 はハンサムな方だったろうと言う感じでした。
語り口調は流石校長までなされた実績者、淡々浪々と語る口調に、教 育者には国境がないと言う事をしみじみと感じました。

ふと気が付いたと言うか、王さんが爺ぃを呼ぶ時にも感じていました が、先生も同じように「下の名前」を呼ぶんですね。
幼なじみや同級生、学校関係や近所だった友人達は、爺ぃの事を「成 驤(チェンシャン)」と呼ぶので、最初に聞いた時、ピンと来ませんでした。

爺ぃが83年に哈密に行った時に校長先生に会ったと言うから、かれ これ2昔、20年ぶりの再会でしたが、話が始まるとその時間が埋ま ってしまい、2昔から4昔、挙げ句は莎車の小学校時代の話まで戻っ て、今は幹部をしている人たちの、少年時代をバラしていました。

この方、10年ほど前に腦の血管系の病気で、自分の子供の名前も判 らなくなるほど、ひどく患ったのだそうですが、リハビリが功を奏し て、今ではそんな事を微塵も感じさせられない程まで回復されていま す。後で訊いてびっくりしました。

となりに座らせて貰って、少しですが色々話をしました。少し成都の 汪親父に似ている感じで、ドンドン親近感が湧いて行きました。
奥さんも気さくな方で、同じ教育者。昔は言葉少なな方だったそうで すが、今ではそれを感じさせないくらい、活発なおばあちゃんです。 (成都の汪親父:93年、中国渡航半年目、成都でサービスセンター 契約した相手先の経理の事。簡単には書き表せないくらい世話になっ ているので、大陸では「中国のオヤジ」と呼んでいました。)

来年、敦煌での商品拡張が成功したら、シーズン中に彼らを呼んで、 敦煌を満喫して貰うつもりです。
その為にも頑張らなくては!(・・・でも、哈密で遊んでるって?)

前を向いて働いてきた方を見ていると、やはり国境は感じられません ね。こういう人達が沢山出て来てこの国を支えて行けば良いのになぁ ・・と、しみじみ思いますが、中国の都会の状態を見ていると、賄賂と 汚職のバーゲンセール。
中国では、地方がこれからのモラルを向上させてくれるのかな?
地方行政も、こう言った所ばかりではなく、かなりエグくてすごい所 も有りますが・・・

おっと、また考えても無力な希望的観測でした。

さて、明日は朝出発で敦煌へ戻ります。 綺麗な町、哈密市での殆ど私用まがいの出張記録でした・・・(^^;;;

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<続く・・・>
まずは23日目の写真の続きから・・・













ここから24日目の写真です!
王老師ご夫妻と爺ぃ。奥さんが手にされている物のは、干支が描かれた水桶です。
王老師ご夫妻と爺ぃ。斜めになっている板っ切れは、干支が描かれた記念品です。
王老師ご夫妻と爺ぃ。王老師の家計は3世代で11人!!全員の干支で”全家福”
王老師ご夫妻と爺ぃ。王老師は事の他大喜び。教え子との楽しい語らい時間です。
王老師ご夫妻と爺ぃ。3世代11人の干支が描かれた《全家福之圖》を手にして語らう。


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