=敦煌奮闘記= 〜21日目〜
         敦煌市内での活動

 急遽新疆哈密市行き決定でお迎えが!
8月29日。
今日は温暖な天気で、夜になっても半袖でOK。
今日、急遽「哈密」へ出掛ける事になりました。哈密から爺ぃの旧友が駆 けつけて呉れています。従いまして作画活動は、哈密から戻ってきてからする事になりました。

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あと2時間で到着すると言う事です。
昨日、爺ぃがその友人に何気なく電話して、今敦煌だと言った途端、「だ ったら哈密へ来ないと駄目」と言い出し、車で迎えに行く段取りをするか ら連絡を待ってろと言うのです。

それが何時になるのかも判らず、取り敢えず今日はブラブラしながら連絡 を待つ事にしました。すると、午後になって電話が入り、
 「もう出たので今から迎えに行く。夕方4時くらいに着くから宜しく〜 !」
と言うのです。
 「ええ!?もう出たの??で、今こっちに向かっているって!?」
何て気の早い人なんでしょ!!?
今日は天気が良かったので、出来れば、前から予定していた鳴沙山の夕日 を見たかったのですが、このせいでまたまた延期になりました(;_;・・・


さっさと部屋を片づけ荷物の準備を済ませ、チェックアウトも済ませて彼 等の来るのを待ちました。
ロビーで待っていると、広源大酒店の総経理劉さんが我々を見つけ、「2 時に電話があって哈密を出発したところだったら、4時に何て着きっこな い。部屋で休んでたら良いよ」と便宜を図ってくれ、無料で使わせて呉れ ました。

案の定、総経理の言った通り。彼らが着いたのは7時前でした。
野口五郎ではないですが、19時の街はもう日が傾き始めていて、今から 出発しても、到着するのが夜中の1時を軽く過ぎてしまうし、ガソリンも 給油出来ないと、砂漠の真ん中で寂しく寒く過ごすことに成り兼ねない。 何にも無い道路上で、何か有ったらどうしようもない事も懸念して、明る い時の移動に変更です。
来てくれた人は、爺ぃの老朋友で西部発展新聞社哈密支部長の王さんと、 哈密の県委書記の白さんのお2人(写真参照)。

彼らが到着する前からもう考えていました。今日は出発せず、明日朝一に 出る事に決めていました。今から出ても、向こうに着くのは1時を軽く回 って仕舞うからです。
なので、今日の宿を広源大酒店に取って、今日は敦煌でゆっくりする事に しました。

日本のお好み焼きを紹介しようと、例の英英珈琲屋へ向かい、色々話をし ているうち、突如夜の莫高窟へ行こう!と言う事になってしまいました。 シャレードに4人詰め詰めで向かいましたが、デブっちょさんが2人も 居たので、車内はかなりきつかったです。

夜の莫高窟は神秘的で昼間とは違った面持ちです。
でも、普通は入れません。駐車場前にある関所で追い返されてしまいます。
このところ窟内の盗難や悪戯などが多いので、昼間の往来以外を許可して いません。でも、我々は莫高窟の莫高山荘に居たので、入る事が出来るの でした(もう住んでいませんが、彼らに取ってはそんな細かな事まで判り ませんから)。

町へ戻り、食事らしい食事をしていなかったので、沙州小吃広場の例の維 吾爾髭オヤジ(なんか髭オヤジばっかり・・・)の店で、串焼き羊肉を戴き、 流しを呼んで歌を聴き、私は、劉コ華(アンディ・ラウ)の謝謝イ尓的愛や 北国の春を歌わされ、近所に居た地元歌手のおばさんの飛び入りなどで、 流しの兄ちゃん達と盛り上がりながら、夜中の1時頃ホテルに戻りました。

明日は6時なのに・・・
しかも彼らは、今日の運転と、昨日のオリンピック観賞で徹夜していて疲 れているので、明日の運転をお手伝いする事になっております。(^^;;;
書記がついているので、一直線の道路区間だけなら、とりあえず問題がな いでしょう。中国の田舎では、領導(偉いさん)が居れば何でも有りです し。(^^;ゞ

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<続く・・・>
= 夜 の 莫 高 窟 へ =


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