=敦煌奮闘記= 〜31日目〜
      敦煌市内での活動(続哈密編-4)

 帰途出発(旅立ち)・・・
9月8日。
今日も朝から良い天気。すじ雲が少しだけ横たわっています。

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今日、夜10時哈密站発の火車、T54次で上海へ向かいます。
これからホテルをチェックアウトし、爺ぃの友人宅で時間をつぶします。

昨日の荷物も何の問題もなく、実際の重量より軽く計算して貰って、経済的に済みました。そうでなかったら、 もう一席座席が取れる金額になってしまいます。(ラッキ〜)
これで上海に着いた時の重量オーバーも取られずに済みます。
いつも2人で60kg以上(規定20kg/人)を持って帰って来ますので、群衆に上手く紛れて、検札の人にも 感づかれずに抜けられると良いのですが、荷物が多いと、自ずと出站が最後の方になってしまいますから、 目を付けられる確率が高いんです。
でも、今回は手持ちも少なく、気が楽に・・・の筈が〜(・・・と書きましたが、ご存じですよね。火車の持ち 込み荷物、独り20kgまでで、オーバーしていそうな人を見つけては、罰金取ってるって事。)

過去、数十回義烏の往復をして居ますが、1度だけ引っ掛かりました。しかし、別便で送る運送費より安かった ので、近距離なら故意にこの方法で行くのも良いと思いましたが、今回は鉄道の距離で約3800km有ります のでどうなるか判りませんから(距離が加味されているのかどうか、調べていませんので・・)、昨日殆ど送って しまいました。

昨日発送しておいて良かったのは、罰金の回避だけでなく、帰り間際になると、大きな箱や重たい果物などの お土産が来るのです、中国って。
あ、・・・来たみたいです・・・大きい箱です。(~~;
やはり身軽にしておいて正解でした!

ホテルチェックアウト後のエピソード。

ホテルを出て爺ぃの友人宅でのんびり、午後に予定しているお別れ会食会まで時間を費やしていると、爺ぃは 印鑑彫りの友人宅へ行ったりして、記念の印鑑を彫って貰っていました。

食事は、最後にあっさり系の「豆腐料理店」で、豆腐で色んな惣菜を造ったり、それに合うような中華料理など を所望させて戴きました。
出てきた葡萄酒が酒度が低く、ジュースみたいで旨かったです。

出発が控えていると、美味しい料理もそんなには喉を通らず、余り食べられないままお開き、その後、会食にも 参加して居られた書法家の友人に書を書いて戴き、ぎりぎりの時間になるまで掛かったものの、なんとか9時半 には完了、間に合いました。

時間がきつかったものの、中国らしくなくスムーズに事が運ぶ中、哈密火車站に着居たのが9時45分、人の少 ない町なのでいともスムーズに進站、哈密でお世話になった爺ぃのご友人、駆けつけてくれたその奥さんのご友人や、 切符を手配してくれた方々に手伝って貰い、増えてしまった色んな荷物を車内に運んで貰いました。 (火車站:駅、進站:ホームへ入る)

この時だけは中国らしい光景になり、車内は乗客よりも多い見送りの人でごったがえし、自分たちの荷物も入れる のに結構苦労しました。寿司詰めの車内で、誰がどこに居るのか判りません。時間が迫ると、もう発車するので 降りた人も、別れを惜しんで車内で話し込む人も、ぎりぎりまでその葛藤が続き、発車ベルが鳴った途端、みんな 踏ん切りが付いたかのように降りて行きました。
我々の見送りメンバー達も同様に、ベルをきっかけに各々離れて行き、しっかり握手の出来た人はごく僅か。

こんな沢山の人が乗るの?って思ったのもつかの間、ベルと同時に人が降りると、12ベッド分の予約権利しか 無い哈密、その前の駅、烏魯木齊などで既に乗っていた人と併せて、12番まで(36人)埋まっているだけでした。 一車輌66名なので22席、あと半分は、今後の駅で乗り込んで来るんでしょうね。藍州、西安などで。

汚れて曇った窓越しに手を振りながら、さっきも告げた「又来るから」の一言を、まるで合い言葉の様に思い出し ながら、聞こえないのに聞こえるような挨拶の掛け合いが、ベルが鳴り終わってからも、2分くらいは発車せずに 居た列車の窓越しに、列車が滑り出してもまだ続いていました。

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31日間に、当たり前のようになってしまった西の国での生活、今この列車の車輪が滑り出すと同時に、 ひとまずピリオドを打ってしまうのです。
感慨深く、思い出が瞼をよぎるこの瞬間、当たり前のように一緒に日々を送った人々とは、次の瞬間からは思い出に 代わってしまうんですね・・・。

こう言うお別れを、数え切れないくらいしてきたからなのか、微笑みが浮かぶばかりで、何だか違った感覚を覚える ようになりました。でも、今こうして書いていると、やはり身につまされるものですね。時間を共にした人たちと、 一緒に居られなくなる事って・・。

列車は暗い哈密の町を出ると、長く延びた甘肅省の大地に、果てしなく続く戈壁灘の中、ひとまず蘭州、西安、 濟南に向けてひた走るのでした。
寝付かれぬまま夜中の2時頃、先日まで奮闘していた柳園の町”敦煌”に着く。
ホームに降りても良いのですが、その時の色々な出来事を思い出しながら、車内からお別れする事にしました。

明日の朝5時には嘉峪関、蘭州には昼頃に到着します。

では、10号再見!(10号:10日の事)

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<続く・・・>


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