羅 成 驤
 == 火 筆 画 家 ==
  甘肅省蘭州人、字(あざな)は崑崙山人。
  父親が仕事の都合で移り住んだ、新疆維吾爾自治区莎車県(ヤルカンド)で生まれ育つ。
  農家育ちで5人兄弟の長男。父親がかなりの晩婚で、母親は父親よりも30歳ほど若く、 長男の彼が生まれた時には、父親は既に50歳を超えていた。
  幼少の頃から手に職を持たない両親を見て、それではこれからの中国で生活しては行けない と幼心に悟る。自分たちが大きくなる頃には、父親に生活を支える力が年齢的に無理に成るか らである。
  学業はそこそこに、15歳頃から仕事に就くようになり、外の世界で目にする色々な工業に 興味を持ち、電工、鉄工、木工と広範囲にわたって色々習得するが、幼い頃から好きだった 絵画に関しては、兄弟の面倒を見ながら、且つ家計を支えなが
ら、独学でその腕を磨く。
  新聞や雑誌に紹介されている有名画家の作品や資料をスクラップし、時間を見ては模写し たり眺めたりと、昼夜を問わず熱心に研究し、絵に関する事をやり始めると時間が判らなくなる 程好きだった。
  22歳に結婚し2児の親となった頃に父親が他界。地元の工場で働きながらも、漢族であり ながら自分の住んでいる戈壁灘の土地に疑問を抱く事数年、吉林省の親戚の手配で、砂漠の荒 野、莎車の田舎から脱出する事になる。この時30歳にして外界に一歩踏み出す事になる。
  この時の心情を語るには忍びないものがあると本人は言う。高齢の母親と、無学無教養な兄 弟達を残して、故郷の地を半ば捨てて出て行く事になる様なものだから。
  山東省に出てからは、国営企業の杜撰な管理や環境が肌に合わず、長年の夢だった画家とし て生計を立てるべく、一念発起して単身で西安へ乗り込む。波瀾万丈な人生の始まりだった。 そこそこ安定し始めた頃に、山東から家族を呼んで安定期を迎えるが、こうなっ
てくると、 元々放浪癖の有る人間で有るからにして、好奇心の虫が動きだし、そこで噂に聞き及ぶ北京で の独り立ちを目標に上京する事になる。
  奇しくも天安門事件に差し掛かり、暫くは北京での活動は避ける事を余儀なくされ、心機一 転深センへと向かう。既に成人していた長男を引き連れ、路上での販売を重ねてある程度落ち 着くと、広州へ移り住み家族を呼び寄せる。
  借家住まいを経て1年が過ぎた1991年、ひょんな事から広州花園飯店ロビーでの出店に 招待され、ここで2年間がむしゃらに活動し、番禺に自分と息子それぞれに家を購入するまで に至る。

  1993年6月下旬、このWeb製作者である私は、会社の出張で偶然そのホテルに長期宿 泊する事になり、彼と運命的な出会いを遂げる事になります。将に文字通り『運命的』な出会 いでありました。
  2人が出会ってから現在までの、喜怒哀楽を伴う様々な事に関しては、各コーナー毎に追い 追いに知って戴く事としまして、画家本人の生い立ちに関しては、これで筆を置く事とします。 続いて、彼との出会いと、これまでのお付き合いに関して紹介させて戴きますので、お時間の 許せる限りお付き合い戴けると幸いです。
このページの背景に有る可 愛い梟のペン立ては、最近の彼の作品です。所々の焦げ具合も、彼の画具を使って施されて います。
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〜羅成驤画伯との出会い〜

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