〜爺ぃとのお付き合い・・其の3〜

  やたらと爺ぃの体調の事が気になりながらも、仕事の出張なので仕方なく上海に戻った。
  戻ってから爺ぃに電話。やはりまだ倦怠感は取れていないと言う。兎に角、何を差し置いても、 病院に行って検査するよう、そしてよく見て貰う事を、深センで分かれた時と同様に念を押した。 そして暫くは毎日電話して確認しようと思っていた。
  翌日、翌々日と、いつものような普通の出勤スタイルに戻る事に、少し安堵感を覚えながら出勤。 兎に角出張の多い自分にとって、"普通の出勤スタイル"と言う事に対して、少し憧れを抱くように なって来ていたので、出張帰りの日常は、心なしか嬉しく思えるのだった。
  しかしその安堵感は、上海に戻って2日目に受けた1本の電話でリセットされる事に・・・。

   プルルル・・・(携帯電話の音)
   当方:「はい」
   爺ぃ:「老田,我不信了」
(老田(爺ぃが呼ぶ私の呼称)、わし、もうだめじゃ)
   当方:「???」
   爺ぃ:「イ尓走了后,我的臉上開始麻痺。上医院看病時,己経開始完蛋」

       (帰ったあと、顔がしびれ出し、病院へ行った時にはもう・・・)
   当方:「・・・什幺意思!?」(ど・・どういう事!?)
   爺ぃ:「看病后医生説我・・生脳溢血要住院。現在在医院看着情況・・・」
       (医者が言うには、ワシ・・脳溢血を患ったので入院せにゃならんのだそ
       うじゃ。今、様子を見て貰っている所なんじゃが・・・)


  入院したと言うのだ!病名は脳溢血だと言う・・・。中国語での伝達だったので、最初は 何の病気か全く判らなかった。話をしながらも、冷静に!冷静に!と言い聞かせながら、 無い頭をフル回転させ、4,5分後に漢字が当て嵌まった。判ったと同時に、かなり大変 な事になって居ると気付き、緊張が走る。
  左半身が麻痺してしまったらしい。深センで、どうしてムリにでも行かせてやらなかっ たのか、後悔がつのるばかりだったが、考えても仕方がない。
  兎に角、居ても立っても居られない。

  所長に事情を話して臨時休暇を取り、一番早い午後の便で広州に飛んだ。幸い出張先で いつ必要になるか判らない事から、いつも多めの現金を持ち歩いて居るので、それを全部 鵞掴みにして・・・。
  急な出来事と、当時は携帯なんて、今のようには普及しては居なかったので、爺ぃは 携帯を持ち合わせていない。なので、スグには爺ぃに連絡が付けられない。行き先をしっ かりメモしてパスポートに挟む。いち早く行ける方法をチケット屋に電話して探り出しながら、 広州の病院の名前が判って居ても、何かと手間が掛かってしまうのが当時の事情なので、 今日中に見舞いに行けなくなる事も危惧する。

  広州には、幸い仕事上で関係良く付き合っている相手の公司が有るので、そこの何経理 に、何も躊躇いも無く電話した。
  彼と爺ぃとは面識があり、お互いに広州に住んでいる都合から、時々電話で話もしていた。 何経理は、甚く心配して呉れて、「全て任せなさい」と二つ返事。彼は私から広州入りの 飛行機便を確認し、到着後のピックアップ、病院への案内、宿泊の手配などの段取りを、 てきぱきと私に伝えて電話を切った。
  そのご厚意に感謝しながらも、爺ぃの様態が心配だったので、その時はそればかり心 配して、虹橋空港へと急いだのだった。
  白雲空港に到着し、仕事の時とは違って手ぶらの私は、いの一番に出口へ向かうと、 何経理と運転手が迎えに来て呉れていた。たぶん、その時私は、半分以上気が動転してい たのだと思う。何にも考えずに、彼らが準備した一寸仰々しい黒のセルシオに乗り、とり あえず病院へ向かったのだった。
  「たぶん」と言うのは、車に乗った事は覚えているが、経緯内容に関しては、全く覚 えていないので・・・。(~~;

  病院に到着し、爺ぃの所に行くまでの確認を、全て彼らがやって呉れて、私はただ、 ただついて行くだけ。
  部屋に付き再会する。一昨日別れたばかりだが、何か数ヶ月ぶりのような感覚に陥 った。
  爺ぃは比較的元気だったが、手も足もしびれているとの事。第一に顔の左半分は、顔面 神経系統が全て働いていない為に無惨にも垂れ下がり、水を飲むのにも一苦労すると言う 事だった。
  私は、数回さすってあげながら、掛ける言葉もなく佇んでいた。
  何経理は、一通り簡単に情況を訊いた後、「明日ホテルに迎えに行くね」と言って、 詳細は追って電話で・・、と言う事で会社に戻られた。
  彼を送って行こうとした時、爺ぃも一緒に立ち上がって、ゆっくりとした足取りで二人 で何経理を見送った。足もしびれているが、発見が早かったので、すぐさま特別なマッサ ージと薬品投与を行えた事で、残留障害には至らずに殆ど回復すると言う事だった。

  面会時間の都合も有るので、帰る時間まで病院の中庭で話をする事にした。
  一番気掛かりなのは、中国の医療面だった。地獄の沙汰も金次第、まさしくその絵巻を 見るようなのが病院内の待遇。一番良い環境条件で、完全に治して貰いたい。でも、花園 酒店の収入が無くなって1年以上経って居るため、幾ら在籍中に稼いでいるとは言うものの、 入院費で全て無くなってしまうのではないか、しっかり家も2件買っているんだから。
  良い治療を、高いからと言ってケチってもつまらないので、今足りなかったら・・・等と、 かなり正気に戻った私は、色々考えた上で、爺ぃにきちんと説明した上で、持参していた 一万元を手渡そうとした。
  すると爺ぃは、

   爺ぃ:「有・有・有。別這様。」(有る、有る、有る。良いよ)
   当方:「但・・・」(でも・・・)
   爺ぃ:「我也有一些銭,別当心。真的!」(それ位は有るから心配するな)

  かなり薦めたのだが、「本当に大丈夫、気持ちだけ受け取る」と言う事なので、とりあえず、 今後の情況を見ながら考えれば良いかとも思い、今は渡すのを止めて、話題を変えて話をした。

  話をしたと言うよりも、爺ぃが一方的に話をして呉れるのを訊いているだけなのだが、 仕事の事、家庭の事、自分の事、子供達の事、新疆から出て来てのからの苦労など・・・沢山、 本当に沢山の話しを訊いた。
  これは、余り語りたくはない彼の家庭事情だが、兎に角、三人の子供らが父親に全く感謝 していなかった。爺ぃは頑固なじじいだが、現代中国に生きる為の代表みたいな経歴と思想の 持ち主で、逆に若い連中の方が、我々から見ると爺臭い考え方や、行動をしている時代だった。
  他人である深センの小姐もそれを認めているのに、それを認められない息子達は、本当、 私から言わせれば、幼い脳の持ち主だったのだ。
  現に、近くに居ながらも、見舞いに来た事は最初と最後だけ。私が来ている二日間にも、 一度も現れない。両方の立場に立って色々見つめてきたが、兎に角変わった家族だった。
  話の都合上触れたのだが、これ以外は追々必要な場合だけ触れる事にして、今はこれだけ でご勘弁。。。

  爺ぃは、自分の努力が、どうしてこんな形で現れて、もっとましな方向で報われないのか、 子供の事、今の情況などを考えながら、自分で色々語るウチに、病気が爺ぃを気弱にしたのだ ろう、大泣きに泣き出し、更に、

   為什幺這様!・・・為什幺孩子們這様・・・太太也是。我做過坏事情碼?
   (どうしてこんな!子供等もどうしてこんな・・・女房も。何か悪い事でもし
    たのか?)

   老田対我照護這様好,我激動而差別很大・・・我有矛盾,很痛苦・・。
   (老田はこんなにしてくれるのに・・・感激なんじゃが、極端過ぎて・・・こん
    がらがって辛いんじゃよ・・)

   真的怎幺可能這様・・・(本当にどうしてこんな事になるんだろう)
   上帝!我做什幺?給イ尓做什幺不高興的事?イ尓哀心答應我!!
   (神様、ワシが何をしたのですか?あなたに不都合な事でもしましたか?
    本当に答えて貰いたいよ!!)

   我只少希望自己努力的結果!其他什幺都不想要!(ワシはただ、自分で
    頑張った結果だけで良いんじゃ!他には何にも要らないのに!)


  私も悲しくなって涙が流れて来た。短いが沢山の意味を成す中国語の表現力に圧倒されながら、 全て言い終わっても、まだ号泣する爺ぃを抱え、震える手をしっかりと握って、気持ちが静まるまで じっとしていた。それまで声を掛けずに・・・ずっと。
  話が止まってから十数分が過ぎた頃、少し落ち着いて来たのか、震えも止まって来た様子だった。 もう面会時間も迫っていたので、とりあえずその日は帰る事にした。



  兎に角慌てて飛んできたが、来て良かったとつくづく思った。来ていなかったら、きっと色々考えて 後悔するに決まっているから。
  今後の治療に関して、今判っている部分だけしか確認出来無かったが、

   爺ぃ:「看病后医生説比較麻煩的塞血管的脳溢血。但発生問題時馬上
       処理好,所以3,4箇月后会恢復起来百分之九十多。」

       (医者は、比較的面倒な血管詰まりの脳溢血だったが、掛かった時に
       スグに処置できたので、3,4箇月後には90%以上まで回復できるでし
       ょうと言っている。)

       「天天中医実施按按摩,天天吃中薬,二、三天一次打針」(毎日の
       中国医が施すマッサージと漢方薬服用、2,3日の注射で。)


と言う事なので、少しは安心しても良いようだ。
  もし費用面、治療技術面などで疑惑が有れば、スグに連絡してくるよう、重々念を押して、 2日間の見舞いを終えた私は、心残りながらも上海へ戻った。

   当方:「有事多聯系,別客気多随便。多保重。」(何かあったら、どんどん
       遠慮せずにスグ連絡してよ。お大事に)

   爺ぃ:「好!・・・感謝イ尓了!!」(ああ!・・・本当にありがとう!!)


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                    〜爺ぃとのその後のお付き合い・其の4〜に続く。



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