=敦煌奮闘記= 
莫高窟での13日間 〜初 日〜

 いざ、敦煌へ!
甘肅省敦煌へ出発したのは2004年8月9日。上海から東方航空の航班に乗り、 西安経由で敦煌へ向かった。

空席待ちでしか乗れないエアチケットで、観光シーズン中の移動を試みた我々だ ったが、お約束事宜しくしっかり席がありません。(^^;
しかし、画家爺ぃさんは挫けません!凄いですね。
5月の東方明珠電視塔でも取り扱った、竹製のコンパクトミラーを取り出して (予めポッケに忍ばしていたと言う準備の良さ)、 敦煌へ行くのは、常書鴻生誕100周年記念行事に参加する為で、これは観光 でなく向こうからの要請で行くのであって、こう言った小物類を提供したり、 各国の要人に絵画の実演を披露する為と説明しながら、差し出した商品を 相手に見せた。そして、感心している瞬間をすかさず狙って、それを彼らに上げて しまったのでした。
するとどうでしょう!さっきまで無かった筈の席が、ひょっこりと現れたのでした。

それって何なの?等と考えている猶予はなく、次の問題は荷物の量だ。しかし、 「モノ」を貰った若い男女の係員、重さも見ずにあっさりと通してしまい、微笑み ながら登記牌を呉れたのでした。う〜ん、本当に座れるのかな?と言う一抹の不安 を残しながらも、空席待ちで時間がぎりぎりの我々は、急いで空港使用料を買って 安全検査に向かうのでした。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

飛行機は西安トランジットの敦煌行きで、乗客は全席満員の様に見えた。 良く席が取れたものだと考えながら、登記牌に書かれた一番後ろの座席に着いた。 乗り込んでやっと空席の絡繰りが判ったのだが、上海から西安へ帰る東方航空西安 勤務の空中小姐が3人乗り込んでいて、この最後部の空席は、彼女たちがゆったり と座って帰る為に、「多め」に押さえてあった席で、そこに我々が座る事が出来た ・・・と言う事だったのです。

なので、その空中小姐達も他の従業員も、最後部の窓際に悠然と座っている我々 を、何かの関係者なのか?何者なんだろう・・と勘ぐるような様子でチラチラと見ていました。

上海から西安までは2時間半。
その間に画家爺ぃさんは彼女たちとも仲良くなり、敦煌で行われる常書鴻のイベント に参加する絵描きだと知ると、更に別の意味で感心を深めておりました。




彼女たちは西安で降り、我々は再搭乗して敦煌へ。 晴天に恵まれたこの日、空に散らばる雲は、青いキャンバスに描かれた様々な絵画の ようで、今まで見た事の無い形で3次元の世界を醸し出していた。見取れているウチ に、写真を撮る機会を逃してしまう程だ。
慌ててカメラを取り出して撮影を試みましたが、さっき見た様な最高の場面は2度と 現れる事はなく、それでも綺麗な雲のキャンバスを幾つも撮影してしまいました。

日本より3時間ほど時差のあるここでは、夜の9時になった今頃、やっと太陽が傾いて 色付き始めました。その後は早く、アッと言う間に暗くなり、敦煌空港に着いた時 には辺りはもう真っ暗けでした。
迎えに来てくれていた敦煌研究院のマネージャーに連れられて到着したホテルは、 何と莫高窟の近くにある『莫高山荘(莫高賓館)』。宿泊に関しては、彼から「大丈夫、 大丈夫。きちんと押さえてあるから」と言う事だけ訊かされており、到着するまで何処を ブッキィングしているのか知らなかった我々は、この情況には一寸腰が引けた。
敦煌という田舎町の、しかも市内から25km離れたこんな所で、これから2週間 生活するの!?と、爺ぃと当方は溜息状態。。。

夜10時、ホテルにチェックイン。
暗い中辿り着いてスグに遅めの夕食を摂り、とりあえず明日からの出店に希望を膨らませながら、 部屋で旅の疲れを癒す事にしたのでした。

このホテルの場所は、莫高窟の「真向かい」にあり、1日中莫高窟のお膝元で生活する 事になる・・・と言う事態に気が付いたのは、翌日明るくなって廻りを見回してからの事でした。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<続く・・・>





ご案内 羅成驤画の伯火筆画ギャラリー 中国写真撮影ギャラリー イラスト画像掲載ページ 会社紹介 リンク


Copyright (C) 2004 ChinaART Laboratories & Trading Japan. All Rights Reserved.